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「少し帰りが遅れたら、これか」

 

 ロビンさんはあたしを見るなりそういった。

 

「おまえはつくづく我慢のきかない男だな」

 

 呆れたようにため息をつく。コンラッドさんはロビンさんのコートを脱がしながら、平然といった。

 

「申し訳ありません」
「可愛いげのない執事だ」

 

 ふたりの雰囲気が怖い。
 ロビンさんはあたしの腰を引き寄せた。

 

「ただいま、キティ」

 

 ほっとした。表情に微笑みが戻っている。

 

「おかえりなさい、ロビンさん」
「コンラッドは怖くなかった?」

 

 あたしは動揺した。ロビンさんはいつも唐突だ。

 

「あの……少しだけ」
「それはいけないな。ああいう男は裏でなにを考えているのかわかったものじゃないから、心をゆるしてはいけないよ」
「ロビンさん、待ってください」

 

 キスされそうになって、ロビンさんの口もとを両手でおさえた。

 

「キスは猫になったときだけにしてもらえませんか」
「どうして?」

 

 あたしの手をとり、掌に口付ける。そういうのも、心臓が暴れるからやめてほしい。

 

「理由が、ないからです」
「冷たいな。オレはこんなにもキティを可愛がっているのに」
「ロビンさんやコンラッドさんからみたら、あたしなんて飼い猫みたいなものだと思います。でもあたしは人間だから、そういうことをむやみにされるのは嫌です」
「そう」

 

 ロビンさんはくすくす笑った。

 

「ふたつめのおねだりだね。いいよキティ、努力しよう。ただし願いごとは一度にみっつまでた。あとひとつだから、慎重にね」

 

 言葉につまった。
 あとひとつお願いしたいことがあったのに、いい出しにくい。

 

 

 

 

「いろいろ掃除してくれてありがとねー!」

 

 夜、エーリカちゃんが部屋にやってきた。

 

「それはいいけど、今日一日どこいってたの?」
「カレシんとこいってた」

 

 水差しを新しいものに取り替えながら、エーリカちゃんはいった。
 あたしは呆れつつも、根っから明るい彼女の笑顔を見るとまあいいかという気持ちになる。

 

「カレシいるんだ」
「うん」
「一族の人?」
「そうだよ。街に住んでるの」

 

 カレシかぁ。いいなぁ。あたし、できたことない。

 

「街に出て危なくなかった?」
「うん。あたしがロビン様のとこのメイドだってみんな知ってるからね。徴兵免除なんだ」
「どうして?」
「ロビン様、この地方の領主っていう設定でしょ」
「そうなの?!」

 

 エーリカちゃんは首をかしげる。

 

「知らなかったの?」
「初めて聞いた。でもいろいろと納得したよ」

 

 エーリカちゃんとあたしは、ソファに並んで座った。

 

「今日、コンラッドさんと庭を散歩したよ」
「えーコンラッドさんと? 気まずくない?」
「気まずいっていうか……うーん」

 

 あたしは水をひとくち飲んだ。

 

「キスされた」
「うわあ」

 

 その「うわあ」はどういう意味の「うわあ」だろう。

 

「2回されたんだけど、2回目はもう猫が治ってたから必要ないはずだったんだ」
「そこは拒絶しようよ。コンラッドさん、カッコいいけど無表情すぎてコワイ。サボってるとすぐ怒るし。あたしは断然、ロビン様派」
「さっき猫治す以外ではしないでくださいっていっておいた。これ、ワガママだと思う?」
「ぜんぜん。ていうかなんでそれがワガママ?」
「お世話になってるのに、申し訳ないような気がして」

 

 あはは、とエーリカちゃんは笑った。彼女の笑顔は屈託がなくて、気持ちいい。

 

「キティちゃん大胆。お世話になるから、体で払いますって?」
「ち、ちがうよ。そういう意味じゃないけど」

 

 あれ、でもそういうことになるのか?

 

「気にしないほうがいいよ。ロビン様やコンラッドさんはそういうの気にしないから。むしろ退屈がまぎれて楽しそうにしてるし。あたしも楽しいし」

 

 とんでもなく寿命が長いというのは、退屈と戦うということなんだろうか。

 

「ねえエーリカちゃん。ナツさんにはどうしたら会えるのかな」

 

 さっきロビンさんには、「ナツさんに会わせてください」とお願いしたかったのだ。

 

「ナツさん? あたしも会いたい。優しくてテキトーで、大好き」

 

 エーリカちゃんがパッと顔を輝かせた。

 

「でもあんまりこの箱庭に来てくれないんだよね。ロビン様と仲がいいんだか悪いんだかよくわからなくてさ。もっと来てほしいなぁ。あたしに会いに来てくれないかなー」
「エーリカちゃん、カレシさんが泣くよ」
「カレシも愛してるけど、ナツさんのほうがもっと好き」

 

 小悪魔がここにいる。

 

「そっか、あんまり来ないのか。こっちから呼ぶことはできないの?」
「ロビン様が呼んだら来てくれるんじゃない? お願いしてみたら?」
「一度にみっつまでっていわれちゃって。残りあとひとつだから、慎重になってるの」
「キティちゃんて、好きなおかず最後まで残して、結局お腹いっぱいになって食べられなくなるタイプでしょ」

 

 う。なぜわかる。

 

「最初のふたつはどんなお願いしたの?」
「えーと、ひとつめは猫じゃないときにキ」

 

 そこで言葉を止めた。
 鳴き声が出そうになったからだ。

 

「どしたの?」

 

 あたしは自分の喉を指さした。

 

「ああ、猫になっちゃったのね。じゃ、あたしがキスしてあげよっか」
「み?!」
「だってあたしも一族だもん。治せるよ」

 

 エーリカちゃんがにじりよってくる。あたしはあとずさった。さ、さすがに女の子とはちょっと。おかしな扉が開いても困るし。

 

「ダメ?」

 

 こくこくとうなずいた。

 

「ちぇ。じゃあコンラッドさんとロビン様、どっち呼ぶ?」

 

 選択すること自体、悪趣味なような気がする。
 あたしが困っていると、エーリカちゃんは紙と万年筆を持ってきてくれた。

 

「はいどうぞ。どの言葉も読めるから大丈夫だよ」

 

 『もう寝るから今夜はいいです』と書いた。

 

「そうなんだ。つまんない」

 

 エーリカちゃんは「おやすみー」と部屋を出ていった。

 

 

 

 

 翌朝、食堂にいく途中でうしろから呼ばれた。
 振りかえると、ロビンさんのキスが落ちてくる。

 

「おはようキティ」
「おはようございます」
「昨日はよく眠れた?」
「はい」

 

 並んで席に着くと、エーリカちゃんが給仕してくれた。

 

「ロビンさんは、今日もお出かけですか?」
「オレが主催するバザーがあってね。キティも来る? 賑やかで楽しいよ」
「いいんですか?」
「君がオレの大切な子だということをみんなに知ってもらういい機会だからね。この前みたいなことがもうないように」

 

 押しつけられた厄介ごとのはずなのに、ロビンさんは優しい。

 

 コンラッドさんとエーリカちゃんも加わって、四人で出掛けることになった。

 

「うわあ、やってるやってる」

 

 広場についたとたん、エーリカちゃんは目をキラキラさせた。

 

 自鳴琴オルゴールやハーモニカの演奏に、軽業師が技を披露する。
 あちこちに品物が並べられ、大人もこどももごった返していた。

 

 コンラッドさんはいった。

 

「エーリカ。おまえはキティ様の侍女だ。勝手にどこかへ行くなよ」
「ハーイ」

 

 大人は男の人ばかりだ。たまに見かける女の人は、お腹が大きかったり、とても身なりのよい人ばかりだった。

 

 神父さん(?)に促され、ロビンさんが壇上で挨拶をしている。あたしはなぜか、その隣に立たされた。視線がたくさん突き刺さって痛い。

 

「これでもう、君は徴兵されないよ」

 

 壇上から降りて、ロビンさんはそういった。
 すぐにわらわらと、身なりの良さそうな人たちが集まってくる。

 

「ロビン様、本日は素晴らしいバザーを開いて頂き」
「ロビン様、今度夜会を行うのですがぜひ」
「ロビン様」

 

 コンラッドさんが前に出て、「お一人ずつお願いします」と整列させている。
 呆気に取られてみていると、ロビンさんがあたしのあごを掬った。

 

「エーリカと回っておいで。広場から出てはだめだよ」
「はい」
「やったぁ」

 

 エーリカちゃんと行こうとしたら、引き戻されて口付けをされた。

 

「念のため」
「ロビンさん、ひ、人前で」
「これで3時間は心置きなく回れるだろう?」

 

 いっておいで、と背を促された。
 ロビンさんは優しいけど、困る。

 

 

 

 

「甘々だね」

 

 コンペイ糖を舐めながら、エーリカちゃんはいった。

 

「うん、おいしいねコンペイ糖」
「や、そうじゃなくて。ロビン様が」
「そっち? うーん。でもロビンさんて誰にでもあんな感じじゃないの?」
「や、あれは客人扱いを越えてるね。でも恋人扱いというよりは、猫っ可愛がりしてるみたい」

 

 それはあたしも感じてた。

 

「毛色のちがうペットみたいな感じでしょ」
「あーそれだ。でも可愛がりかたが異常。んー」

 

 じっとエーリカちゃんはあたしを見つめてきた。大きい瞳だなぁ。

 

「ナツさんから、やっぱなんかされたでしょ」
「記憶にないなぁ。あ、でも、テキトーに特殊能力を見繕っておくっていわれたような」
「それだ!」

 

 エーリカちゃんは盛大に人差し指をつきつけてきた。

 

「一族の男に好かれる特性をつけてもらったんじゃない? あと、キスすると猫が治る特性」
「そんな特性つけられるんだったら、最初から猫を治してほしかったんだけど」
「この箱庭で生活するには、ロビン様に可愛がられるのが最善の手段だよ」
「そうかなぁ……」

 

 釈然としない。
 でも、あの時ナツさんは「分離できない」といっていたから、猫を治すことはそもそも無理だったのかもしれない。

 

「探したぜ、エーリカ」
「ウォン」

 

 エーリカちゃんが振り向いた。よく日に焼けた、若い男の人だ。顔立ちはアジア人っぽい。

 

「この人ごみでよく見つかったね」
「おまえとその連れの子が一緒に歩いてると目立つんだよ。どうも、ウォンです」
「あ、どうも、えーと」

 

 この場合、どう名乗ればいいんだろう。

 

「キティちゃんだよ! ロビン様のお客さん」
「キティちゃん? それ本名?」

 

 ウォンさんが訝しげな顔になった。切れ長の目だ。
 エーリカちゃんのカレシかな。

 

「ま、いいや。ふたりでフラフラして、変な男に声掛けられなかったか?」
「掛けられた。いっぱい」
「マジか。ったく、ほっとけないなおまえは」

 

 エーリカちゃんの髪をくしゃくしゃしている。
 声なんて一度も掛けられてないのに、さすが小悪魔だ。

 

「それにしても、あんた。キティちゃん。ナツさんの知り合い?」
「知り合い……まあ、そういえなくもないかもしれないです」
「ちょっとややこしい感じの子だな。またロビンさんに押し付けた系だな」
「ロビン様は上機嫌だけどね。ついでにコンラッドさんも」
「うーん、まあ……」

 

 ウォンさんは、あたしをちらっと見た。

 

「気持ちはわからんでもない」
「ほらやっぱり、キティちゃん一族の男に好かれる特性つけられちゃってるんだよ。ラッキーだね!」
「扱いは飼い猫だけどね」

 

 あたしはため息をついた。

 

「エーリカちゃん、カレシさんとふたりきりで回りたいでしょ? あたしロビンさんのところに戻るから、行ってきていいよ」
「ホント?! やったぁ。ありがと、キティちゃん」

 

 エーリカちゃんは上機嫌でウォンさんに腕をからめた。ウォンさんはまんざらでもない顔をしている。
 ふたりを見送っていると、羨ましさがこみあげてきた。

 

 いいなぁ。
 猫可愛がりの特性なんていらなかったな。
 ちゃんとひとりの人間として好きになってくれる人がいてくれたらな。

 

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