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 ロビンさんはよく出かける。
 コンラッドさんを連れていく日もある。
 朝だったり、夜だったり、時間帯はまちまちだ。

 

 ロビンさん不在の時に猫になってしまったら、コンラッドさんが治してくれる。
 コンラッドさんがいないときは、猫のままでいる。

 

 そうしたら猫のままでも、屋敷にいるかぎりそこまで困らないことに気づいた。
 ――ということを紙に書いて、コンラッドさんに見せた。

 

「…………」

 

 コンラッドさんは、無言で紙を見つめている。
 あんまり反応がないので、読めなかったのかなと心配になった。

 

「つまり、キスはいらないと」

 

 読めていたらしい。あたしはうなずいた。
 コンラッドさんはしばらく沈黙したあと、いった。

 

「今日は街へ買い物にお連れしましょう」
「?」
「猫のままだとご不便ですね」
「?!」

 

 両の掌で頬を包まれた。拒否するまもなく、唇が重なる。

 

「コンラッド、さん」

 

 激しいキスはされなかった。
 離れた唇で、あたしはいった。

 

「あたし、いらないっていったのに」
「オレがいります」
「やっ……、んん」

 

 再度口づけられた時、ふいに声が投げこまれた。

 

「あらコンラッド。情熱的ね」

 

 コンラッドさんがぎょっとして振り向いた。
 感情を表に出すのは珍しい。

 

「エリザ、なぜここに」
「姉の訪問を喜んでくれないの? それとも、仔猫ちゃんをいじめるのに夢中なのかしら」

 

 エリザさんの後ろには、エーリカちゃんが立っている。コンラッドさんの狼狽を明らかに楽しんでいた。悪い子だなぁ。

 

「お買い物に行くのでしょう? わたしも行きたいわ」
「……。いつからそこにいた」

 

 コンラッドさんは長く息をはいた。
 エリザさんは優美に笑む。

 

「仔猫ちゃんが紙になにか書いていたところからよ」
「……」
「いらっしゃい仔猫ちゃん。先日馬車を新調したの。乗ってもらえると嬉しいわ」
「は、はい」
「エーリカも侍女として一緒にきてね。仔猫ちゃんを着せ替えて遊びたいの。ねえ、キョウコ」

 

 エリザさんの視線の先に、黒髪の女性がいた。日本人形みたいな容姿をしている。

 

「はい、エリザ様」
「この子はキョウコといってね、わたしの侍女をしているのよ」
「以後、よろしくお願いいたします」

 

 生真面目に礼をとる。あたしも慌てて頭を下げた。

 

「あら、仔猫ちゃん。貴女は頭下げなくていいのよ」
「でも」
「ふふ、ロビンは貴族のふるまいをなにも教えていないのね」
「……だめ、でしょうか」

 

 落ちこんだ。
 すると、エリザさんがふわりと抱きしめてくれた。
 花の香りがする。

 

「いいえ。可愛いわ」

 

 うわあ、すごくやわらかい。
 こんな綺麗な人に抱きしめてもらえるなんて。
 思わずうっとりしていると、唐突に引きはがされた。
 コンラッドさんだ。

 

「気をつけてください。エリザはどちらもイケる」
「どっちもって……」

 

 数秒考えて、回答に思い至った。かあっと耳が熱くなる。
 エリザさんはくすくす笑った。

 

「ロビンのものに手を出すようなことはしないわ」
「オレは全面的に貴女の色欲を信頼していない」
「まあ。貴方のおむつを替えてあげたのはわたしなのに」
「なっ」

 

 エーリカちゃんは笑いを噛み殺している。

 

「ねーたま、ねーたま、と泣きながらあとを追ってくれたのは誰だったかしら。ずいぶんと可愛くなくなってしまったのね。悲しいわ」
「……エリザ」

 

 コンラッドさんがふるふるしている。
 今日は珍しいものがたくさん見られるなぁ。

 

 

 

 

 用心棒がいるの、の一言でコンラッドさんの随行が決まった。

 

 それなのにエリザさんの馬車にいってみれば、2人の屈強な男性がいた。用心棒は自前で用意していたようだ。コンラッドさんはエリザさんにいじられるためだけに連行された。

 

「まあ可愛いわ、仔猫ちゃん」

 

 高級ブティックのようなお店で、次々に着せ替えられた。
 エリザさんが気に入ったものは即お買い上げ、サイズ調整後届けられるとのことだ。

 

 これ何着目だろ。くらくらしつつ、水色のドレスに袖を通す。

 

「コンラッドさん、厄日だねー」

 

 楽しくて仕方ないといった感じで、エーリカちゃんがニヤついている。
 背中のぼたんを止めてもらいながら、あたしはいった。

 

「コンラッドさん、お姉さんに弱いんだね」
「あー楽し。エリザさんもっといっぱい遊びに来てくれないかな」

 

 10着以上購入して、再び馬車に乗り込んだ。コンラッドさんはずっと黙りこくっている。

 

「満足したわ。とても可愛かったもの。ね、コンラッド」
「……ああ」

 

 肯定してくれたけど、張りついた無表情が怖い。

 

「そうだわ仔猫ちゃん、すこし家に寄ってもらえないかしら。紹介したい人がいるの」
「紹介……? どういう方ですか?」
「見てからのお楽しみよ」

 

 エリザさんは人差し指を立てて微笑した。
 コンラッドさんは憮然として、

 

「断る」
「あら、どうして?」
「もう昼になる。昼食は家でとる」
「ほんの少しだけよ」
「いーじゃないですかコンラッドさん。お友達が増えたほうが楽しいですよ。キティちゃんはあたしとエリザさんしかお友達がいないんですよ。カワイソウ」

 

 コンラッドさんは押し黙った。
 そういわれてみれば、知り合いが極端に少ない。

 

「コンラッドさん、いってもいいですか?」

 

 隣に座る彼に聞いてみる。コンラッドさんはちらりと視線をこちらによこした。

 

「……少しだけですよ」

 

 

 

 

 ドールハウスみたい。
 あたしはお屋敷をうっとりと見上げた。

 

「ステキ。可愛いおうちですね」
「ありがとう。お庭から廊下の端まで、こだわって造ったのよ」

 

 応接間に案内された。
 メイドさんがしずしずとお茶を運ぶ。何人かの使用人とすれ違ったけど、美形づくしだった。

 

 やがてキョウコさんが男の人を連れてきた。

 

「ヒナタ様をお連れしました」

 

 ヒナタ。
 懐かしい響きの名前だ。
 面差しも日本人的で、思わず見入ってしまった。

 

 肌の色が白いため、男性であるのに儚げな印象を与える。
 けれど、芯の強そうな目をしていた。

 

 その目がゆっくりと見開かれる。

 

「姉さん?」

 

 あたしはまばたきした。

 

「姉さんじゃないか。いままでどこにいたんだ?!」

 

 両肩をつかまれた。
 びっくりしすぎて、声が出ない。
 エーリカちゃんとコンラッドさんも、唖然としている。

 

「ふふ、驚いたでしょう?」

 

 エリゼさんがクスクス笑った。

 

「ロビンが仔猫ちゃんを拾ったと聞いたから、わたしはその弟クンをもらったのよ」
「もらったというか、エリゼさん。僕は貴女が、姉さんを探す手伝いをしてくださるというからこのお屋敷に来たんですよ」

 

 困ったように、『弟クン』はいう。

 

「約束を守ったでしょう? ヒナタがずっと探していた仔猫ちゃんよ。ただし、記憶はないようだけれどね」
「記憶が……?!」

 

 弟クンは愕然としたようだった。
 あたしは戸惑いながらも、こたえる。

 

「うん、そうなの。記憶がないっていうか、別の記憶はきちんとあるんだけど」
「じゃあ僕のことを覚えていないの?」

 

 あたしはうなずいた。
 弟クンの目が絶望に染まる。
 ものすごく悪いことをしたような気がしてきた。

 

「ええと、ごめんなさい」
「……いや。姉さんが無事だったら、それでいいんだ。エリザさんから、姉さんは街で男どもに追い立てられていたと聞いた。それからずっと行方不明で、僕は生きた心地がしなかったよ」

 

 弟――ヒナタ君は深く息を吐いた。
 それにしても、似てない姉弟だなぁ。
 姉は金髪で、弟は黒髪だ。顔立ちもぜんぜんちがう。

 

 コンラッドさんが静かに割りこんだ。

 

「キティ様がご領主の屋敷に囲われているという噂を、君は聞かなかったのか?」

 

 ヒナタ君はいぶかしげに眉を寄せる。

 

「キティ……?」
「あたし、自分の名前も思い出せないから、そうやって呼ばれてるの」

 

 慌てて説明をつけ加えた。

 

「ああ、そういうことか。――そういう噂は聞きませんでした。僕はずっとこの屋敷で寝こんでいたので、いつもエリザさんから情報をいただいていたのですが……」

 

 エリザさんは「フフ」と笑っている。
 そこだけワザといわなかったんだな。

 

「でも、領主様に囲われてるってどういうこと?」

 

 ヒナタ君は心配そうにこちらを見つめた。
 どういうこと? っていわれても、あたしにもよくわからない。

 

 こたえあぐねていると、コンラッドさんが口をひらいた。

 

「キティ様は特殊な病に罹かかられている。縁あって、ご領主がこの方を看ている状況だ」
「領主様は、医者じゃないですよね」
「だが医者には到底及ばない知識をお持ちだ」

 

 コンラッドさんは嘘をついていない。ギリギリだけど。

 

「じゃあ、今後も姉を囲い続けるということですか」
「姉君は看護が必要な状態だ。君は自分の家に帰るといい。ご領主の屋敷に来ればいつでもキティ様に会わせよう」
「――腑に落ちない」

 

 ヒナタ君はコンラッドさんを睨みつけた。

 

「姉はずっと健康でした。病とはなんですか。どういう病状なんですか」
「えっと、それはね」
「声が猫鳴きになる」

 

 ズバッとコンラッドさんがこたえた。
 ごまかそうと思ったのに……。

 

 ヒナタ君は眉を寄せる。

 

「なんだって?」
「声が猫になる。まともに喋れない。ご領主はそれを治せる。だが効果は一時的だ。だからお屋敷に置かれている」
「そんな話を信じろと」
「まもなく信じざるを得なくなるだろう」

 

 コンラッドさんはあたしに目を移した。3秒後、

 

「にゃー」

 

 とあたしの声帯が猫鳴きした。

 

「姉さん?」

 

 ヒナタ君の目が見開かれていく。
 ごめんね、こんな姉で。

 

「と、いうわけだ」

 

 コンラッドさんは相変わらず無表情だ。
 ヒナタ君は愕然としたまま、喋ろうとした時だった。にわかに激しいセキが彼を襲った。

 

「み?!」
「ごめ――、すぐ、おさまるから」

 

 そうはいうものの、セキの嵐は治まりそうにない。ゼイゼイと異音が混じり始めた。そういえばだれかが「体の弱い弟」といっていた気がする。

 

 キョウコさんがヒナタ君を支えつつ、

 

「いかがいたしますか、エリゼ様」
「そうね。無理をさせたら可哀想だわ。お部屋に戻してあげて」
「待って、ください」

 

 激しいセキの下、ヒナタ君はあたしを見た。
 切なく潤んだ両目で、いう。

 

「帰ろう、姉さん。貴族の、囲い者に、なる必要なんてない。僕が……いい医者を、見つけるから」

 

 セキが徐々におさまっていく。
 ヒナタ君はキョウコさんの腕から離れて、あたしの手をとった。
 荒い息の下で、優しく微笑む。

 

「僕らの家へ帰ろう」

 

 胸がしめつけられた。
 ヒナタ君はきっと、『姉さん』がいなくなって寂しかったんだ。

 

 ふいに、あごを攫われた。ふに、と唇が押しあてられ、頭が真っ白になった。
 手はまだヒナタ君に握られている。でもこの唇は、ヒナタ君のじゃない。

 

「……コンラッドさんっ」

 

 顔が真っ赤になのが、自分でもわかった。
 あごの手を振り払う。

 

「いきなりなにするんですか!」
「これが治療方法だ」

 

 コンラッドさんはしれっといった。
 ヒナタ君はあっけにとられている。

 

「残念ながら、どんな医者にも治せない。もちろん、君にも」

 

 エーリカちゃんは「きゃあ」などといいつつ盛りあがっている。
 いくら人工呼吸でも、こんなの顔から火が出る思いだ。

 

「まあ、コンラッド。仔猫ちゃんの治療なら、わたしがしてあげたのに」
「エリゼは黙っていてくれ」

 

 お姉さんの前で『治療』することは、コンラッドさんにとっても不本意だったようだ。

 

「治療、だと? これが?」

 

 ヒナタ君がいった。
 ぞくりとするような低い声だ。

 

 直後、コンラッドさんの胸もとを乱暴につかみ上げた。

 

「きさま、よくも姉さんに!!」

 

 コンラッドさんは動じない。
 涼しい顔でヒナタ君の手首をつかんだ。ヒナタ君の顔が歪む。コンラッドさんは手首をそのまま捻りあげ、反対の手でヒナタ君の背中を押しこんだ。

 

「つ……ッ」
「やめて、コンラッドさん」

 

 あたしは慌ててコンラッドさんを押しとどめた。

 

「ヒナタ君は体が弱いんだよ。ひどいことしないで」

 

 ひと呼吸おいたあと、コンラッドさんは手を離した。
 ヒナタ君はずるりと絨毯にうずくまりながら、再び襲い来るセキに耐えている。

 

「大丈夫、ヒナタ君」

 

 ヒナタ君の背中をさすりながら、あたしはコンラッドさんを睨みあげた。

 

「コンラッドさん、ひどい。どうしてこんなことするの」

 

 コンラッドさんは、少しだけ眉を寄せた。エーリカちゃんが「コンラッドさん鬼畜ー」と適当に相槌をうっている。
 あたしはエリゼさんに目を移した。

 

「ヒナタ君に付き添わせてください」
「ええ、どうぞ。ごめんなさいね、仔猫ちゃん。コンラッドはあなたが家に帰ってしまうと思ったの。悲しくなって、あんなことをしてしまったのよ」

 

 エリゼさんは微笑した。
 エリゼ、とコンラッドさんは苦虫を噛み潰したような顔でいった。

 

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