だいたいコンラッドさんは言葉が少ないうえに強引で乱暴なのだ。
猫を治してくれるのは感謝している。でも、病弱なヒナタ君を傷つけるのは許せない。
エリゼさんはコンラッドさんを庇っていたけど、彼にあるのはただの所有欲だ。
だからああいうひとりよがりなことができるんだ。
けれど、怒りの裏に、冷静な自分もいる。
コンラッドさんの所有欲は、あたしの特性のせいだ。
特性は、ナツさんがつけたものだ。
厳密にいえば、コンラッドさんに責任はない。
……うまくいかないな。
こういうときに、ロビンさんがいてくれたらいいのに、と思う。
あたしはキョウコさんと協力して、ヒナタ君をベッドに寝かせた。
咳き込みながらも、ヒナタ君は「ありがとう」という。
「いいよそんなの。苦しいだろうから、あんまり喋らないで」
ヒナタ君は、セキのせいで潤んだ目をしている。
キョウコさんが薬湯と水差しを用意してくれた。
「それでは戻らせていただきます」
丁寧に一礼して、部屋を出ていく。
ここは客間だろうか。白で統一された、爽やかな部屋だ。
「体起こせる? お薬だよ」
ヒナタ君の背中を支えながら、彼の口もとに薬湯をもっていった。こくんと喉ぼとけが動く。
「ありがとう、姉さん」
あたしは首を振った。「姉さん」と呼ばれても違和感しかなくて、ヒナタ君に申し訳がない。
「ごめんねヒナタ君。こんなことになっちゃって」
「ヒナタ、って呼んで」
「ヒナタ?」
「そう。姉さんは僕のことを、そう呼んでいた」
まだ荒い息の下で、ヒナタ君は――ヒナタは微笑む。
とても優しい笑顔だった。
あたしもつられて笑った。
「ヒナタとあたしは、あんまり似てないね」
「うん、血が繋がっていないからね」
「えっ、そうなの?」
どうりで似ていないわけだ。
「僕らは同じ孤児院で育ったんだ。お互いの親が貧乏で育てきれなくて、預けられた。僕らは同い年なんだよ。姉さんのほうが何か月か先に生まれてるから、僕が弟になった」
「孤児院にいたころから、あたしたちは仲がよかったの?」
「うん。だから13歳で卒院してからも、一緒に暮らしてるんだ」
「そうなんだ。ごめんなさい、覚えていなくて」
「姉さんは変わらないね。いつも僕を気遣ってくれる。でもちょっとだけ、女性らしくなったかな。前はもうちょっと男勝りだったから」
うーん、そうだったのか。
複雑な気分でいると、ヒナタは少し声のトーンを落としていった。
「さっきは頭に血が昇ってコンラッドさんに喰ってかかってしまったけど、本来なら姉さんにとって喜ばしいことなんだよね。領主様に面倒をみてもらえるということは、正式に兵役が免除されるということだから」
「ああ、うん。それは助かってるよ」
バザーで人々に認知されたから、今日も気兼ねなく出掛けられたのだ。
「でも、姉さん。嫌じゃない? 姉さんは貴族のこと、ずっと嫌ってたよね。たいしたことしてないくせにいつもふんぞり返ってる人でなしって、いつもいってたから」
「あたし、そんなこといってたんだ。ロビンさんは偉そうにしてないよ。すごく優しくしてくれる」
そこであたしは苦笑いを浮かべた。
「困るときもあるけど。……ものすごく」
「姉さんの病気、治る見込みはないの? 記憶喪失のきっかけはわかる?」
「わからない。ごめんね、病気のことや記憶喪失のことを聞かれても、なにもわからないから、こたえられないんだ」
あたしはごまかした。
箱庭や転生について、うまく説明する自信がない。信じてもらえるとは思えない。
うつむいていると、頬を掌で包まれた。
温かい。
「大丈夫。いままでふたりで、どんなことでも乗り越えてきたんだ。今回のことも、絶対に大丈夫だよ」
ヒナタは優しくいう。
心を掬い上げてくれるような笑みだった。
さっきもそうだったけど、ヒナタの笑顔はつられてしまう。
「ありがとう、ヒナタ」
「うん。姉さんはやっぱり、笑ってるほうが可愛い」
そんなことない。ヒナタのほうが可愛いよ。
でも男の子に可愛いだなんていったら、気を悪くしちゃうかな。
*
ロビンさんの家にいれば、兵役を免除でき、猫鳴きも(一時的にだけど)治すことができる。これらのメリットを考えて、ヒナタは渋々だけどあたしを送り出してくれた。
「つらいことがあったらいつでも家に戻ってきて」
「ヒナタはエリザさんの家にいるの?」
「いや、姉さんも見つかったし、お世話になるのも悪いから自分の家に戻ろうと思ってる」
「あら、いいのよ。ずっといてちょうだい」
エリザさんは微笑した。
「いてくれたほうがわたしも楽しいわ。仔猫ちゃんも、いつでも遊びに来てね」
コンラッドさんが苦い顔になったのは、いうまでもない。
屋敷に戻ると、マントルピースのある居間で、ロビンさんがくつろいでいた。
「ロビンさん、帰ってたんですね」
ロビンさんの顔を見るとほっとする。
特に今日は、いろいろあったから。
「おかえり、キティ。エーリカやコンラッドを連れて、どこに出かけたの?」
「エリザさんの家にお邪魔してたんです」
ロビンさんの隣に腰かけつつ、今日の経緯を話した。
コンラッドさんとエーリカちゃんは、それぞれの仕事をするため階下にいっている。
「そう、ヒナタと会えたんだね」
「はい。いつでも会いに行っていいそうです。ヒナタに関する記憶は全然ないんですけど、不思議と一緒にいるとあったかい気持ちになるんですよ」
「それはよかった」
ロビンさんの指が、あたしの髪にからむ。
それだけで心臓がどきどきして、あたしはロビンさんから目をそらした。
「今日……コンラッドさんがヒナタに乱暴して、ヒナタが倒れた時、ロビンさんがいてくれたらよかったのにって、思ったんですよ」
「オレはもっと前から、キティがいつも隣にいればいいのにと思っているよ」
ロビンさんは甘く笑んで、指にからめた髪を持ちあげ、口付ける。
鼓動が跳ねた。
髪が素肌になったみたいに感じる。
「ロビンさんはいつも、どこへ出かけてるんですか?」
「ある女の子の様子を見にいっているんだよ」
あたしは言葉に詰まった。
自分で聞いたくせに、この話をこれ以上聞きたくない。なんて勝手なんだろう。
「そんな顔しなくていいよ。その子はね、この箱庭の主人公なんだ」
「主人公?」
そういえば、あたしの前世はナツさんいわく「クソどーでもいい脇役」だった。ということは、当然主役もいるわけだ。
「オレは、その子が上手にストーリーを演じられるように、影ながらサポートしているんだよ」
「どういうストーリーなんですか?」
「兵役に出ている子でね。敵国に捕虜として捕まって、その国の王子と出会い、憎みあいながらも惹かれあっていくというあらすじなんだ。ナツにしてはロマンチックな設定だから、けっこう楽しんでいるんだけどね」
「ほんと、少女マンガみたい」
あたしはクスクス笑った。
よかった。心が軽くなった。
「あたしがいた箱庭は、だれが主人公だったのかなぁ。聞いてくださいロビンさん、あたし、女友達Fっていう、超脇役だったんですよ。でもそんな自覚全然なくて、それなりに悪いこともいいこともあったんです」
懐かしいな。
季節は初夏だった。爽やかな青空、並んだくつ箱、昇降口。
「主人公は誰だったんだろう。由利かな、みさとかな。ストーリーは学園青春ものですよね。うちの高校は男子サッカー部が有名だったんです。スポーツものだったらその部員が主人公だったのかも」
つい、夢中で喋ってしまった。ロビンさんは穏やかに聞いてくれている。
「ごめんなさい、あたしばっかり話しちゃって」
「キティは疲れているとよく喋るクセがあるのかな。可愛い声が聞けるから、オレは嬉しいんだけどね」
やわらかく、ロビンさんに肩を引き寄せられる。あたしの頭はそのまま、彼の足の上に乗せられた。
「ろ、ロビンさん?」
「目の下にクマができてるよ。そろそろ疲れがでるころだ。昼食までゆっくりおやすみ」
この態勢で寝るの?
ロビンさんは微笑しながらあたしの頭をなでてくれている。完全に猫扱いだ。
「ロビンさん。あたし人間ですよ。覚えてますか?」
「そんなセリフ、5000年生きてきて初めていわれたよ」
ロビンさんは可笑しそうに首をかしげた。あたしの手をとり、甲に口付ける。
「こんなになめらかな肌の猫はいない。ちゃんとわかっているよ」
「で、でもロビンさんはーーひゃあっ」
手の甲を、濡れた舌で舐められた。
舌はゆっくりと肌の上を這い、人差し指の先を中に含む。
やわらかな熱に包まれて、背筋がぞくんとした。
「ろびん、さん」
「君は、オレに猫だと認識されていたほうがより安全だと、どうして気づかないの?」
「待っ……」
性急に背中を抱き起こされ、唇を奪われる。
激しい熱に、拒絶の言葉はすべてのみこまれた。
頭の芯が揺れる。
力強く両腕のなかに抱き込まれている。
口腔内をかき混ぜられるのと同時に、あたしの脳内も乱されて、なにも考えられなくなる。
「きっかけなど、些細なことだ」
キスの継ぎ目に、ロビンさんは囁く。
「みくびらないでほしいな。ナツの暗示など、初期段階で破っているよ。いまこうしているのは、オレの意思だ」
「ロビンさ……、っ」
貪欲なキスにのまれ、あたしはただ、彼の胸もとにすがりついた。
どうしてこのひとは、このタイミングで、欲しい言葉をくれるんだろう。
欲しい言葉をもらったのに、どうしてこんなにも、心が乱されるんだろう。
室内に、濡れた息遣いが満ちていく。